千歳神社について

御祭神

主祭神

豊宇気とようけ比売神ひめのかみ

 食物・衣食住・農業の神様で広く諸産業・商売繁盛の守護神

相殿

伊知伎志摩比売神いちきしまひめのかみ

  国家鎮護・海上安全・道中安全・漁業守護の神様

境内

境内社

鹿島香取社

武甕槌神たけみかづちのかみ経津ふつ主神ぬしかみ(武道の神様)

山神社

大山祇神おおやまづみのかみ(山の神様)
金山かなやま彦神ひこのかみ金山かなやま姫神ひめのかみ(鉱山の神様)

飛び地境内社・釜加かまか神社

 

御神水 幸井さちいの水

万古の生命を湛える支笏湖の伏流水が境内の地下57mより湧き出ております。お参りをした後は水を汲み持ち帰ることも出来ます。

神社山(市指定保存樹林)

古くより市民氏子によってその名を受け継いでいる鎮守の杜・神社山。四季折々に表情を変える自然の景色は素晴らしく、この森に生息する北海道特有の動植物の種類は豊富で、市民の憩いの場として親しまれております。

ご由緒

千歳神社は千歳川のほとり、街を見下ろす高台に緑豊かな杜に囲まれて鎮座しております。

その始まりは万治元年(1658年)。

松前藩の史料『福山秘府』によりますと「弁財天小社東夷地、志古津、万治元戌造営、同3年神体ヲ安置」とあり、万治元年にこの地に弁天堂が建立されたことが記されております。

これが千歳神社の発祥と伝えられております。

そののちの享和3年(1803年)には幕史の勇払詰所役人 高橋治太夫が、シコツ場所の守護神として、京都伏見より正一位思古津しこつ稲荷いなり大明神を祭祀いたしました。

シコツ場所の鮭漁が盛んになるに従って、千歳川の漁場の守護神として、さらに弁財天が勧請されました。

明治8年に主祭神を豊宇気とようけ比売神ひめのかみとして、同年郷社に列し、大正6年には思古津しこつ稲荷いなり神社から千歳神社と改称致し現在に至っております。

境内外にある末社を含めると七柱の神様がお祀りされています。

千歳神社と千歳の歴史

当社は千歳の地名の発祥と深い関係のある歴史ある神社です。

『千歳』という地名が生まれたのは徳川幕府が東蝦夷地を直轄していたときでした。

当時、この千歳付近は『シコツ』と呼ばれ、中央を流れる川(シコツ川)には豊富な鮭が登り、山野には多くの鹿がすみ、古くからの住民であったアイヌの人々にとって恵まれた土地でした。

『シコツ』とはアイヌ語で『大きな低地』または『大きな凹み』という意味です。

和人が蝦夷に入り込むようになって間もなく、ここ『シコツ』は交通の要衝として注目されるようになります。

300年前の地図に、太平洋から日本海にぬける工程が詳しく記載されていることからも、交通の要衝として栄えていたことが伺い知ることができます。

『シコツ』が『千歳』と改称したのは文化2年(1805年)のことでした。時の箱館奉行羽太はぶと正羪まさよしに部下の山田やまだ鯉兵衛りへいが川の名の響きが悪いのでと改名を願い出ます。羽太はぶとは、この地に鶴が多く生息していることから「鶴は千年」の故事にちなんで『千歳川』と命名し、その経緯と和歌を弁財天の御厨子の裏に記し神社へお祀りいたしました。

末ひろき 恵みもしるし 河の名の
千とせをかけて しむる宮居は

川の名のとおり千歳にわたっておわしますこのお社は、いつまでも御利益があらたかですよ。

シコツ川から千歳川と命名した由来が記されているこの御厨子は現在千歳市文化財第一号に指定されております。